想いを置くこと。|依存
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今日のテーマ「依存」
依存って、苦しいものだと思う。
大切にしたい。
そばにいたい。
なくしたくない。
その気持ちが「安心」のところで止まっていられたらいい。
でも、なくなることを想像するだけで不安になったり、離れることが怖くなったりする。
私は、その一歩手前の「安心できるところ」に、想いを置けたらいいのではないかと思っている。
娘が幼稚園の頃、毎朝、私と離れることが不安で泣いていた。
それでも幼稚園には行かなければならない。
ある日、私は大きなどんぐりに顔を描いた。
海外の花材だったそのどんぐりには、ベルベットのような帽子がついていた。
つるつる、もこもこ。
指で撫でると、とても気持ちがよかった。
顔を描くと、不思議とただの「物」ではなくなる。
目があって、口があって、こちらを見ている。
それだけで、さっきまでただのどんぐりだったものが、「この子」になる。
可愛くなる、というだけではない。
「物」という感覚が、少しなくなる。
それをオーガンジーの小さな袋に入れて、娘のポケットに入れた。
今思えば、袋に入れることも、小さな儀式だったのかもしれない。
「これは、あなたのための特別なもの」
そんな意味を持たせたかったのだと思う。
娘は不安になると、ポケットに手を入れて、そのどんぐりを触った。
そして、私がそばにいなくても幼稚園で過ごせるようになった。
心理学者ジョン・ボウルビィの愛着理論には「安全基地」という考え方がある。
安心できる存在がいるからこそ、子どもはそこから離れて外の世界を探索し、不安になればまた安心できる場所へ戻る。
安心することと、自分で外へ出ていくことは、反対ではない。
安心があるから、離れることができる。
私は娘にどんぐりを渡したとき、そんな理論を知っていたわけではない。
ただ、娘の不安を「なくす」のではなく、安心できる何かに変えたかった。
そして、もう一つ伝えていたことがある。
「もしなくしたら、この子が旅立ったと思ったらいいよ」
絶対になくしてはいけない物にはしたくなかった。
なぜなら私自身、子どもの頃、大切な物をよくなくしたから。
落としたり、置き忘れたり、壊してしまったり。
大切だったのに。
そして親から「大切にしなさい」と叱られるたびに、
大切な物は、なくしてはいけない。
壊してはいけない。
そんな怖さが、いつの間にか私の中にできていた。
大人になってから、主人に言われたことがある。
「形あるものは壊れるから」
私には驚きだった。
大切にしていても、壊れることがある。
大切にしていても、なくなることがある。
そんな考え方があるのか、と。
大切にすることと、永遠に持ち続けることは同じではなかった。
あの言葉を聞いてから、私は少しずつ「失うことへの恐怖」から解放されたように思う。
人は、大切な存在を失ったあとも、物や記憶を通してつながりを感じることがある。
死別についての心理学には「継続する絆(continuing bonds)」という考え方がある。
亡くなった人との関係をすべて断ち切るのではなく、形を変えながら心の中につながりを持ち続けるという考え方だ。
研究では、形見のような物、記憶、ふとした思い出などを通して、そのつながりを感じる人がいることも報告されている。
一方で、そのつながりが慰めになることもあれば、苦しさにつながることもあるという。
だから私は思う。
大切なのは、想いをなくすことではないのかもしれない。
そして、ずっと握りしめ続けることでもない。
安心できるところに、置く。
悲しみでもいい。
願いでもいい。
健康でいてほしいという祈りでもいい。
誰にも言えない気持ちでもいい。
触れて思い出す。
見て安心する。
そして、手を離して出かける。
また必要になったら、戻ってくる。
私はそんな、自分だけの小さな場所が日常の中にあってもいいと思っている。
愛着をなくしたいわけではない。
大切なものを忘れたいわけでもない。
大切だから、握りしめ続けなくても大丈夫なところまで。
私は、安心できるところに想いを置きたい。

参考にした資料
・Bowlbyの愛着理論における「安全基地」の考え方
・Hewson H, Galbraith N, Jones C, Heath G. The impact of continuing bonds following bereavement: A systematic review. Death Studies, 2024.
・Clabburn O, Knighting K, Jack BA, O'Brien MR. Continuing Bonds With Children and Bereaved Young People: A Narrative Review. OMEGA, 2021.